亀の化身に違いない!

プレゼント

子育て真っ最中の頃、暇を見つけては泉寿亭跡の市立別子銅山記念図書館へ、親子で出掛けていました。
ドーム型の屋根が特徴的な図書館で、ドームの周辺の窓添いに閲覧コーナーがあり庭を眺めながら読書が出来ます。
その庭は、大手企業の迎賓館として栄えていた泉寿亭の名残り奥ゆかしい庭園です。
子供達は、その庭園に囲まれた窓越しで、紙芝居や童話に夢中になりました。
読書に耽って感情移入している最中、「かあさん、シッコ~!」ということが再々なので・・・。
私は、出来るだけさらっと目を通せるものをあえて選んで随筆か写真集を頻繁に借りていました。
「ふるさとの思い出写真集・新居浜」は、懐かしい想いにふけりながら、目を通した本のひとつです。
以前にも、『幼い時に見た景色』で、この中の写真を紹介しましたが、もうひとつ 私の勝手な思い出の 懐かしい写真があります。

上 : 昭和13年頃の新居浜-西条線海岸道路 『 仏 崎 (ほとけざき) 』

のどかでしょう~♪

現在の新居浜-西条線海岸道路 『 仏 崎 』

今では 海岸沿いが埋め立てられて、大手の工場が立ち並んでいます。
御代島(みよしま)が陸続きとなり、広い工業地となりました。
中央分離帯に立ち写真を撮りましたが、向かって来る車・後方から来る車がドンドン迫ってきて怖かった~。°・(>_<)・°。

私が懐かしく思う頃は昭和40年代なので、一枚目の写真より30年も後のことですが、私の記憶の景色は この写真となんら変わりが無いように思われます。
ただ 弟が喘息の発作を起こし頻繁に入院したり、この仏崎海水浴場の閉鎖を目の当たりにしましたから、自然の汚染は進んでいたのでしょうか。
そういった公害事情が表立っていましたが、その当時の仏崎は まだまだ静かでした。
自家用車で松山方面へ行く時は、この新居浜-西条線海岸道路を通っていました。 (動物園、松山城、道後温泉、飛行場 etc…..)
車の窓から眺める仏崎周辺はとても美しく、視界を次々遮る松の木と、青い海は絶景でした。
「さあ~、お出掛けよ。楽しいことが待っている。」
と母の一声が、私の心を弾ませてますます美しいものにしていたのかもしれません。
ただその道を通る度、たった一つ気掛かりなことがありました。それは、ペチャンコになった亀が路面に放置されていることでした。

では、私の幼い頃の話をひとついたしましょう。

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私は6歳になったばかりの頃、竹の物干し竿を半日(往復6km)持ち歩いたことがあります。
行楽を予定していた前日、仏崎に幽霊が出たと聞き、しばらく考えた私は、
「そうだ!幽霊ばなしは・・・亀の化身に違いない。」と、奮起したのでした。
私は、籠に詰まった洗濯物を横目に 物干し竿を引きずり 西へ西へ・・・
持ち出したものの あまりに厄介なので道中置き去りにする事も考えましたが、やはり母が困ると思い 持ち帰ったのでした。
何故、物干し竿を持って歩いたのか不思議でしょ。何を考えていたのでしょうかね?
思い出す限りでは、厄介なものを持ち歩きながらも 決して後悔していませんでしたから、何か理由があるはずです。
亀の墓標にしては長すぎるし、海に返すための道具なら竿だけでは無理のようだし、
その日は、弟が水疱瘡と診断された翌日のことで、弟にばかり手を焼く母を数時間困らそうと思っていたのでしょうか?
それは、ヤキモチ!
私が水疱瘡に罹ったのは、そのまた翌日のことでした。

皆さん!
この道を通ることがございましたら、竹竿を引きずる何とも風変わりな女の子がいたことを思い出してくださいね。

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亀の化身に違いない!」への6件のフィードバック

  1. こんばんは のらです。
     
    亀はウミガメなのですね。車に轢かれて道路に放置されてたのですよね。
    そのままにしておけないと、できるだけのことをするために2キロもある危ない道路を歩いた少女の優しい気持ちがわかります。
    物干し竿を引きずって行ったのはなぜか・・とだいぶん考えてみたのです。
    亀の墓標にしては長すぎるし、もし生きていたら海に返すための道具なら竿だけでは無理だし、ウームやっぱりわかりません。
    ただただ一生懸命だったことが窺えて目頭が熱くなりました。

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  2. の~らさん、こんばんは♪
    長いお話をよく読んでくださいましたね。ありがとうございます。
    このお話は、私が大切に暖めてきた懐かしい思い出です。
    懐かしい写真は、『幼い頃に見た景色』の時に…..現在の写真は、『深まりいく秋』の時に、フォトに準備しておりました。
    どの様に表現しようかと、今までの記事で一番長く下書きのまま考えておりました。
    むかしむかし・・・という童話風にしようか。ちょっとした笑い話にしようか。 と・・・・・。
    ですが、あえて一番長い話にしました。のらさん、このお話に目を留めてくださってありがとうございます。
    どなたもコメントを寄越してくださらなかったら、「寂しいwa」とPC,の電源を入れることを躊躇していました。
    今日は娘の試合の為、上記の道路を通りました。昔住んでいた社宅から仏崎までの距離を測りました。
    なんと3kmありました。そうなると往復6km。
    幼児がちょっとお散歩…..という距離では無かったわけですよね。良く頑張ったものです。
    その後数日間、水疱瘡を患い高熱が続きました。
    自分が決め、そして 最後まで頑張り通したこの思い出は、今でも難しい事に直面した時、苦しくてたまらない時、泣きたくても泣いてはいけない時、思い出しています。そして、くすくす笑っています。
    今日、松山の競技場に行く道中、娘にこの思い出を話しました。大声を出してゲラゲラ多いに笑ってくれました。
    まっ、それでいいのです。
    のらさん、今回もどうもありがとうございました。

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  3. ☆まるさん こんばんは~ また来ましたよ。
     
    往復6キロだったんですか。よくまぁ無事で帰れましたね。
    今ではくすくす、笑い話として思い出すこともそのときのひたすらな思いに立ち返れば、
    ☆まるさんの優しさのDNAにちゃんと組み込まれているのだと思いますよ。
    とてつもなく辛いことを乗り越えた経験は貴重だといえます。苦境にもひるまずめげずですもんね。
     
    ・・・物干し竿のこと、まだ考え続けています。

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  4. こんばんは、のらさん♪♪

    そうなんですよ。何故、物干し竿を持って歩いたのか不思議です。何を考えていたのでしょうかね?
    厄介なものを持ち歩きながら、思い出す限りでは、決して後悔していませんでしたから、何か理由があるはずです。
     
    次女と車の中で考えました。「それは、ヤキモチじゃね!」と言うことになりました。
    次女は、双子の一人です。何をするにも相棒と一緒です。
    乳幼児の頃 お昼寝をする時、母はトントンと二人の背中の上で調子を取っているのですが、顔はいつももう一人の甘えん坊の方ばかり向いていたそうです。
    何としても自分の方を向いて貰う為に、あれこれ策を練るのですが、考え付かずに泣き寝入りをしたこと再々だそうです。
     
    どうやら、私は母を困らす為に、物干し竿を持ち歩いたようです。
    あまりに厄介なので道中置き去りにする事もできたでしょうに、持ち出したものの やはり母が困ると思い直して持ち帰ったのでしょう。
    私は母が困ることを現行しましたのに、娘は、泣き寝入りをしていただけなんて、なんと けなげな人でしょう。
    私は娘が、尚いとおしくなりました。
     

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  5. まるちゃん、こんにちは~。
    子供の頃のお話、興味深く読ませていただきました。
    芯が強くて、情が厚くて、やさしい女の子だったんですね。
    今のブログ記事の中にも、そういう感じがでてますよ。
     
    それにしても、中央分離帯に立ってるまるちゃん、あぶな~い!
    通り抜ける車の運転手さん、びっくりしたでしょうね。

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  6. コスモスさん、こんばんは~★☆
     
    中央分離帯からの撮影は、ちょっと無鉄砲でしたね。さぞ、運転手さん ヒヤッとした事でしょう。今も昔も、意標を突く行動は変わらないようです。突拍子も無いことを何気にやってのけるこのDNAは、我が子にも備わっているのでしょうね。肝に銘じておかなければ・・・!
     

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