「硫黄島からの手紙」 を観て

映画: 『 硫黄島からの手紙 』 を観てきました。
「観たい映画があるんよー。テストが終わったら連れて行って!」
と 娘に誘われていました。
何故観たいのか尋ねたら「日本男児に会いたいから。」と言います。
心配でした。
監督、脚本、演出が日本人ではないので、娘の期待に叶うものでしょうか?
残酷なものは見せたくありません。感動があるかしら?
以前一緒に観たハリウッド映画 『 ラスト サムライ 』、戦争映画 『 男たちの大和 』 は それぞれ娘に深い感動を与えたようで、正解だったと思います。
観る前に娘と約束をしました。
  • 目を伏せたくなるようなシーンを観てしまったら、その人の思いと制作した人の真意をとことん創造すること
  • それでも尚、心の内に響かず自分と心が重ならなければ、客観的に観ること
(歴史的事情・ストーリー上の配役の意味・画像の出来・衣装、小道具の信憑性に目を向けること)
心配することはほぼ無かったようです。
「西郷役の二宮和也さん、ちょっと幼く感じたね。外国人から見た代表する日本人かな。」
「一見、か弱そうに見える人もひたむきなところが見えるとカッコいいね。無事に生き延びて~と願ったわ。」
「父親たちの星条旗を観るべきだった・・・。そのDVDの宣伝効果充分あるよね。」
と 言っておりました。
私は、「そういう見方もあるんだわー」と感心しました。
確かに前半の西郷は、厭世的で虚無的で格好良さからは離れていましたけれど、妻やまだ見ぬ子への思いは強くて生き延びようとする姿は心打たれました。
栗林中将の最後のシーンで西郷が流した大粒の涙に 日本男児の潔さ以上の感動を得ました。
娘は、さまざまな正義を抱えた、強く、愛らしく、誇らしい日本男児に会えたことでしょう。
この映画は淡々と描かれていて、余計な説明がありませんでした。
ドキュメンタリー風かな。ロマンは心の中で自分で創造するのです。
例えば、栗林中将の作戦やその人徳を言葉巧みに表現していないので、じれったかったです。
映画の中で、手紙を書きとめているような口調で語るわずかばかりの言葉が、かなり重要です。
数々の予告で、
「どうしても描きたい日本の男たちがいる。世界中の人々に彼らがどんな人間であったかを是非知ってほしい」
と言うクリント・イーストウッド監督の願いを知らされていたからこそ、あえてその部分を感じ取ることができたのだと思います。
うかうかしていたら、時代背景の緊迫感も逃していたかもしれません。
この映画の良いところは、静かに抑えた選曲だと思います。
痛恨を奏でるさまざまな音が、郷愁を誘いました。波の音で始まり、トランペットの旋律で終わります。
その静かな音のおかげで、残酷なシーンをさらっと観ることができ、それでいて鑑賞後、戦争の痛みがじわっとやってきました。
「この痛みを忘れないように、同じ過ちを犯さないように!」
と 切々と感じました。
最後のシーンで兵士達の色あせた手紙が舞い落ちる様を見て、兵士達の命がけの息吹を感じ、切なく想いました。
日本を命を懸けて守ろうとした人たちに 感謝いたします。
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バラ LOVE プレゼント
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