燧灘とアツケシソウ

 晴れ   車   LOVE

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秋の良い時候が続いています。隣の庭に咲いている?咲かせている菊が美しいです。

夕飯の支度まで時間が有るので、しめじを買い足しがてらドライブをすることにしました。

工業団地を横目に壬生川新居浜野田線を東に向いて真っ直ぐ進み荷内へ来ました。

海岸通り、新居浜の東の果てです。

防波堤に立ちました。北は、大島と黒島が見えます。

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大島

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黒島

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私の背後(南)は阿島の山々です。

山の木々は紅葉が少し遅れているようで、未だ薄緑が残っています。

この山の奥深くに谷間があり、県道新居浜野田線が通っています。

その県道の南の山の中腹には、JR予讃線が通っていて、汽車が走っています。

あっ、今は電車です・・・。

その道の新居浜の東の最果てが私の父親のふるさとであり、私が小学高学年から過ごした処です。

子供の頃、この奥深い山を何度か探索し、大島と小船の浮かぶ燧灘を小高い山から眺めました。

今思えば、無鉄砲な探検です。

よくまー無事に帰り着いたものだわ。いのししに出くわしたらどうしたのでしょう。

そんな大変な思いをして見つけた景色です。

ちょっと高さが違うけれど、丁度こんな感じです。とっても素敵でしょ。

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木陰から大島が見える

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子供の頃は、獣道を走りきらないと見る事が出来ない風景・・・と思っていました。

この素晴らしい眺めを簡単に見ることが出来ると知ったのは、私が車の免許を取った18歳の時でした。

帰りは、荷内切抜きで保存栽培をしているアツケシソウの紅葉を見に行きました。

新居浜市の天然記念物に指定されています。

今年も色鮮やかに秋色に染まっています。

かつては、多喜浜塩田周辺に広く生えていました。

至っては、工業用地として埋め立てられて、次々と姿を消してしまいました。

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アツケシソウの紅葉

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35年前のことですが、

山の中腹から望む秋色に染まる多喜浜塩田跡地は、それはもう素敵な景色でしたよ。

真っ青な空なのに、まるで一斉に夕日を浴びたかのように、地上は赤く光っておりました。

湿地帯に懸けられたその魔法を見たのは、私が10歳の頃でした。

「地上が赤く染まるのは、砂地に生息するアカザ科の一年草、アツケシソウの仕業だよ。」

と、遠縁にあたる白浜のおじいちゃまから教えてもらったのでした。

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アツケシソウ(アカザ科の一年草)

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おじいちゃまの自宅の庭を通り、予讃線をまたぎ山奥のお寺?ほこら?の、その上から、

今も工業団地を眺める事が出来ますが・・・

もう、あの魔法を見ることはありません。

たまには、昔を思い起こしながら、ふら~っとドライブも良いものですね。

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バラ   車   バラ
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定期演奏会

音楽

新居浜市民吹奏楽団の定期演奏会に行ってきました。

あぁ~、良かったですよぉ。 まさに至福の時を味わいました。(*´▽`*)

彼らは、パワーをたぁ~くさん送ってくれました。

やっぱ生演奏っていいですよね~♪

素晴らしい演奏力に惚れ惚れし

合唱とのコラボは、さらに深く 広く 彩を添え

天空を駆け抜ける馬や 地上の花々を連想したかと思えば

意想外で、陽気なエルビス・アンスケ(アーロンではないのです)・プレスリーが登場して・・・( ̄▽ ̄) 爆・爆・爆

なんだか、別世界に行った気がします。

そんな多彩なサービスと懐の深さがとっても好きです。

立ち見も出るほど、たくさんの人が来ていました。

ステキな演奏会でした。

LOVE

想う

晴れ
我が家の子供達は結構元気ハツラツです。

それでも、子供の顔色の変化は日々見受けられます。

最近の子供事情は難しくて、私の頃のように、のんびりと出来ない現実がありますからね。

鼻歌まじりで帰って来ると安心したり・・・。

不機嫌でいると心配したり・・・。

「 なにかあったの?」

と尋ねても

「 別に・・・」

と、返事が返ってくることがあります。

あまりにも不機嫌だと強い口調で 「 何なのよ!」 と渇を入れたくなりますが、

おっと! まぁ、一呼吸して・・・。

なんらかの交流があったわけでもないけれど、ただ時間が過ぎ、雰囲気が和らぐのを感じます。

不機嫌になった理由もそれをどうやって解決したのかも、なんにもわかりません。

でも、「 よかった♪」 と思います。

子供の話を聞こうとしても、うっかりすると、私の意見を並び立ててしまいます。

「 ふ~ん 」 とか、「 そうなん?」 とか、「 それで?」 とか、そんな言葉だけを言っていると子供のおしゃべりは続きます。

親子と言えども、けっして、相手の心の中にずかずかと踏み込んではいけないようです。

私は 「 愛情 」 というより 「 想う 」 という言葉が好きです。

そうね。押しつけないように相手を想う。

私には想像もつかない、果てしなく夢見る子供達に、おまじないをしています。

それはね。

早朝、子供達と洗面所ですれ違う時に、そっと腕にふれるのです。

「 焦らないでいいからね。きれいにまっすぐに飛び立ってほしいな♪」

と・・・思いを込めて・・・

多くの人にモノにコトに守られていることを感謝して、子供の行く手を、ただただ祈るように想うのです。

家庭でも職場でも、出会う人を、やさしく想い続けられる私でありたいと思います。

LOVE

今日も元気!

 
天高く 馬肥ゆる秋 今日も元気だ! 屋台巡って 松山の鮓  !!  ペロリ
 

西条、宇摩の職員と共に、昨夜から宿泊し、早朝、ラッシュを掻い潜って県民文化会館へ着いた。

私は会場の受付奥でひたすら名簿をみつめて筆耕係りをした。県下の各事務局職員5人に割り当てられた仕事だった。

街路樹の紅葉を見ながら歩きたいところだが、仕方が無い。。。

全国の大勢の若手?企業経営者で賑わった。辺りの駐車場は全てが満杯となっていたそうだ。

メイン会場では、2千人を越える会議が行われたが、様々な催し物が会場狭しと行われ、一般客もあり、総勢3千人を超す大イベントとなった。

正面玄関前では物産品売り場が屋台を張っていた。昼時、陽気に誘われて物産巡りをした。

当入口は、いつもがらがらだと思うが、じゃこてんなどの海産物や、鰹や椎茸の乾物、ガーゼ地の日本手拭、御栗タルト、えひめみかん、陶器の絵付け、などの屋台が賑わっていた。

まさしく秋真っ只中だなぁーと思った。

瀬戸の小魚が多彩に混ざっている松山の鮓を買った。

青空の下、地元のシンガーの歌声を聞きながら、懐かしい面々と一緒に食べた。退職前にもう一度会いたいなぁーと思っていた県下の各事務局職員と・・・。

今治の職員が欠席だったのがちょっと淋しい。

この職場に来なければ出会うことが無かった人たち。会議や研修で数回会っただけ。なのに存在は大きかった。

この半年間、電話などでの交流でいろいろ助けて頂き、いつの間にか心の支えとなっていた。有難かった。

各事務所で立場も業務もほぼ同じ・・・皆様の苦労を聞くたびに、私はまだまだだなぁ~って励まされた。

皆様のお陰で、最後の奉公が出来た。全国大会という、またとない大きいイベントのスタッフとして活動出来たことを幸せに思う。

共に会場を出たのが午後6時半で、新居浜に無事帰着したのが8時半だった。

さよならを告げる私は、きっと明日も元気だ!!

バラ

 

遠い昔になるけれど~~~♪

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『 ALWAYS 続・三丁目の夕日 』、丁寧に再現された当時の町並みを非常に懐かしい感覚で見入りました。

かつて新居浜にもALWAYS同様の町並みと人々の活気がありました。

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幼少の頃の行動範囲は新田町を拠点とし、西は磯浦町、東は西原町、南は星越町・・・

私は、当時新居浜市内で一番繁華で活気ある処を走り回っていたわけです。

オトナシイ女の子だったはず? あれ? 随分お転婆だったのかしら???

緑の生け垣に囲まれた星越社宅周辺の雰囲気、そこから北にレンガ坂を下るとわかば温泉と言う名の銭湯、泉幼稚園遊戯室の窓越しから見るバレエレッスン風景、高須賀散髪屋のシャンプーの香り、その隣の雑貨屋さん、トンネルから出てくるカゴ車やトロッコとその踏切。

お隣の玉市自転車屋のすみとくんや パン屋のけんちゃんと 八百屋のみかちゃん、ワタナベボタン屋のおばちゃんや 自転車で配達している郵便局員さん、何とかドルのパチンコ屋の店員さんと 薬局のおばちゃん、みんなを思い出し、とても会いたくなってきました。

まだまだ浮かぶ思い出は、イメージ的な記憶なので、時代は多少前後していると思いますが・・・

大坪東映のデイリィークイーンは、この土地初のバーガー屋さん。フィッシュバーガーが私のお気に入り!

新宝館横のほとんど具無しのカレー屋さん!

あ~そうして ラーメン屋の熊公・・・チケット10枚集めて食べたよネェ。

口屋跡に図書館があったのをご存知?あの松の木は・・・熊も居たような。

至る所に貯水池があって、木材が浮かぶ所が多くあったね! 歩くたびに目に付く足元のボルトネジや鉄くず!

病院前商店街の自転車の通勤ラッシュは、圧倒されたよね。

旧市役所の最上階(3階?)から北を臨むと、火力発電の4本煙突!カッコよく並んでいたね。

・・・しかし、そんな私の町は、今は大きなビルがポッコンポッコン建ち、商店街は寂しくなり、アーケードは取り壊され、住んでいる人たちも様変わりしてきました。

通った若宮小学校は当時全学年3クラス以上あったのに、今は、住友関連の社宅の減少等に伴って児童数はどんどん減少・・・(のちに追記:2018年3月、66年の歴史に幕を閉じました。2021年6月コロナ禍:ワクリエ新居浜・生涯活躍まち拠点となりました。)

あー、時代は流れているのです。

この映画を観て、私の記憶や心にある新居浜の情景がくるくる巡って、当時の世界へ帰ってしまいました。

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