子どもたちへのメッセージBlogもいよいよ終盤かしら。そこで、私の幼い頃の話をいたしましょう。
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私は、生真面目に働く母の姿を見て育ちました。
口数の少ない母は、社宅の隅で洋装店を開いていました。
たった一人の弟は頻繁に喘息の発作を起こし、その度、母は病院へ走っていました。
行楽を予定していた前日、
「あした、動物園へ行く~♪」
と浮かれている私に、仮縫いにいらしたお客様が、
「仏崎に幽霊が出たんだって!幽霊が出るから、あの道は通れんわー。」
と、言うのでした。
弟の診療を終え帰ってきた母から動物園行きの中止を告げられ、しばらく考えた私は、
「そうだ!幽霊ばなしは・・・亀の化身に違いない。」
と、奮起したのでした。
翌朝、私は、籠に詰まった洗濯物を横目に物干し竿を持ち出しました。
竹竿を引きずり 西へ西へ・・・
カゴ車やトロッコが走る踏切を渡り、その仏崎まで てくてく歩いて行きました。
仏崎までの道のりは片道3km以上はあったと思われます。
車とすれ違う度、風が顔や胸に強く当たります。
自分の背丈よりも長いその竿を 途中何度も右に左に持ち替えながら歩きました。
竿を握る手にジンジンと振動が伝わりました。
左右クネクネ曲がった、急な上り下りの 長~い道のりでした。
てく、てく。 てく、てく。
やっとの思いで仏崎に着いた時、予想していた通り、道のど真ん中にペチャンコになった亀の姿がありました。
私はシャゲきった亀を竿でつつき両手で抱え上げました。
海に帰るのが一番と思ったのでしょうか?
その場所から海に降りれそうも無く、今にでも滑り落ちそうな路肩からその亀を海に放り投げました。
「このお祈りでイイ? どのくらいお祈りしたらイイ? もっと?」
と、しゃがんで手を合わせました。
海をのぞき 幾度も手を合わせ直してその場を去りました。
帰り道、疲れ切って弱気になった私は、物干し竿をその場に置いて帰ろうか・・・と、心が揺れました。
でも、母が困るでしょう。悪い夢を見ちゃいけない。
気を取り直して2歩3歩、ジンジンしびれる腕を我慢しながら、来た道を戻りました。
ガキガキ鳴る竹が時々高く跳ねるので、それが道に飛び出さないように気を配りながら歩きました。
てく、てく。 てく、てく。
竹竿を引きずりながら やっと、やっと、帰り着きました。
何故、物干し竿を持って歩いたのでしょうか?
亀の墓標にしては長すぎるし、海に返すための道具なら竿だけでは無理のようだし、私は何を考えていたのでしょうか?
弟にばかり手を焼く母を数時間困らそうと思っていたのでしょうか?
それは、「ヤキモチ!」
その感情は当初からなのか、それとも幾度も思い出すたびにいつのまにかそう結びついたのか、今となっては曖昧な記憶です。
この日は、弟が水疱瘡と診断された翌日のことで、私が水疱瘡になった前日でした。
泉幼稚園をしばらく休んだ後、最後の運動会が楽しめたのを覚えておりますから、私は6歳になったばかりの頃です。
皆さん!
この道を通ることがございましたら、竹竿を引きずる何とも風変わりな女の子がいたことを思い出してくださいね。
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昭和13年頃の新居浜-西条線海岸道路 『 仏 崎 (ほとけざき) 』
今回の思い出話の頃は昭和40年代なので、この写真より30年も後のことですが、私の記憶の景色は この写真となんら変わりが無いように思われます。
車の窓から眺める仏崎周辺はとても美しく、視界を次々遮る松の木と、青い海は絶景でした。