霧から霞へと

 

ボーーー!! 船の汽笛が鳴った。

目覚めて濡れ縁に立つと深い霧がかかっていた。

10m先が霞んでいる。畦道に行き交う人は居ない。

深呼吸をして、霧から霞へと彷徨って歩いた。

一面に春が広がっている。

 

歩いても歩いても体は温かくならなかった。我が家が見えてきた頃、前髪がしっとり濡れていることに気づいた。

プランターいっぱいに咲き誇る桜草が見えた。一月の大寒の真っ只中、数枚の葉の時に母からもらったものだ。

花びらと花びらが重なり合って咲いている。その花の陰に沢山の蕾がある。

可愛いくて綺麗なピンクの桜草を愛でている瞬間も刻は流れている。

私は言葉に出来ないくらいこの刻が好きだ。

玄関先に筍が置いてあった。段ボールの中に太くて大きいものから小っちゃいものまでゴロンゴロンと入っている。

父が持ってきてくれたんだー。この交通事情の中、どうもありがとう。

 

 

霧

さくら草

さくら草

さくら草

物干し竿

子どもたちへのメッセージBlogもいよいよ終盤かしら。そこで、私の幼い頃の話をいたしましょう。

バラ・・・ LOVE・・・ プレゼント ・・・バラ・・・ LOVE

私は、生真面目に働く母の姿を見て育ちました。

口数の少ない母は、社宅の隅で洋装店を開いていました。

たった一人の弟は頻繁に喘息の発作を起こし、その度、母は病院へ走っていました。

行楽を予定していた前日、

「あした、動物園へ行く~♪」

と浮かれている私に、仮縫いにいらしたお客様が、

「仏崎に幽霊が出たんだって!幽霊が出るから、あの道は通れんわー。」

と、言うのでした。

弟の診療を終え帰ってきた母から動物園行きの中止を告げられ、しばらく考えた私は、

「そうだ!幽霊ばなしは・・・亀の化身に違いない。」

と、奮起したのでした。

翌朝、私は、籠に詰まった洗濯物を横目に物干し竿を持ち出しました。

竹竿を引きずり 西へ西へ・・・

カゴ車やトロッコが走る踏切を渡り、その仏崎まで てくてく歩いて行きました。

仏崎までの道のりは片道3km以上はあったと思われます。

車とすれ違う度、風が顔や胸に強く当たります。

自分の背丈よりも長いその竿を 途中何度も右に左に持ち替えながら歩きました。

竿を握る手にジンジンと振動が伝わりました。

左右クネクネ曲がった、急な上り下りの 長~い道のりでした。

てく、てく。 てく、てく。

やっとの思いで仏崎に着いた時、予想していた通り、道のど真ん中にペチャンコになった亀の姿がありました。

私はシャゲきった亀を竿でつつき両手で抱え上げました。

海に帰るのが一番と思ったのでしょうか?

その場所から海に降りれそうも無く、今にでも滑り落ちそうな路肩からその亀を海に放り投げました。

「このお祈りでイイ? どのくらいお祈りしたらイイ? もっと?」

と、しゃがんで手を合わせました。

海をのぞき 幾度も手を合わせ直してその場を去りました。

帰り道、疲れ切って弱気になった私は、物干し竿をその場に置いて帰ろうか・・・と、心が揺れました。

でも、母が困るでしょう。悪い夢を見ちゃいけない。

気を取り直して2歩3歩、ジンジンしびれる腕を我慢しながら、来た道を戻りました。

ガキガキ鳴る竹が時々高く跳ねるので、それが道に飛び出さないように気を配りながら歩きました。

てく、てく。 てく、てく。

竹竿を引きずりながら やっと、やっと、帰り着きました。

何故、物干し竿を持って歩いたのでしょうか?

亀の墓標にしては長すぎるし、海に返すための道具なら竿だけでは無理のようだし、私は何を考えていたのでしょうか?

弟にばかり手を焼く母を数時間困らそうと思っていたのでしょうか?

それは、「ヤキモチ!」

その感情は当初からなのか、それとも幾度も思い出すたびにいつのまにかそう結びついたのか、今となっては曖昧な記憶です。

この日は、弟が水疱瘡と診断された翌日のことで、私が水疱瘡になった前日でした。

泉幼稚園をしばらく休んだ後、最後の運動会が楽しめたのを覚えておりますから、私は6歳になったばかりの頃です。

皆さん!

この道を通ることがございましたら、竹竿を引きずる何とも風変わりな女の子がいたことを思い出してくださいね。

バラ ・・・LOVE ・・・プレゼント

 仏崎

昭和13年頃の新居浜-西条線海岸道路 『 仏 崎 (ほとけざき) 』

今回の思い出話の頃は昭和40年代なので、この写真より30年も後のことですが、私の記憶の景色は この写真となんら変わりが無いように思われます。
車の窓から眺める仏崎周辺はとても美しく、視界を次々遮る松の木と、青い海は絶景でした。

ピアッシング

「お待たせ」

数日前、
ピアッシングをしました。
ほらね。

ピアス

左右の耳たぶに一つずつのファーストピアスです。
このファーストピアス、アレルギーを起こしにくいものを選びました。
「ハン!」
と、夫はご機嫌斜めです。
子ども達は気付かない様子です。

バラ

6年前のことです。
今となっては真意は伏せておきますが・・・
「あなたたちが巣立った暁には、一念発起して思うことがあるんよ。」
『え?もしや熟年離婚?母さんも巣立つの?』
と、慌てる子ども達に
「ピアッシングをするんよ。」
と、意表を突いた宣言をしました。子供達はホッとしている様子でしたが、
「ダメじゃ。」
と、夫は一撃を発しその話は収束したかのようでした。

バラ

昨年春のことです。
残業で帰宅が遅くなった私に、子ども4人の熱い視線が集まりました。
「何?いつの間にリスペクト?」 と、私???・・・。
『末っ子の高校卒業は、人生最大の節目でしょう。達成感、結構あるんじゃない?』
と、子ども達は話し合って『もしやピアス!』と、私の耳たぶに興味を示したようです。
『何だ~。アケテナイ!』
「あら~本当に残業だったんよ。肩透かしでごめんなさいね。」
この時の夫の反応は激しく
「この家にピアスをする女は無用じゃ。」
「老いを誤魔化すために装飾するんか?」
「ワシは、穴を開けたいと言い出す子に育っていないことが一番の誇りじゃ。」
「開けてしもたら、示しがつかん。もうお前は子供に何も言えんの。」
と、夫は未遂の私に数々の罵声を発しました。
『ピアスは、今や覚悟を決めて行う儀式じゃないんよ。なのに宣言をして5年も待って。母さんはお父さんのフィールドで好きな事をしているだけじゃない。寛大に見過ごしたら?』
と、娘たちは父親に説得を試みたのでした。

カクテル

そして、今。

おしゃれをしようと思って開けたのではないのよ。
自分の巣立ちを諦めたのよ。
さくらんぼ

 

窓には、三寒四温と言われる通り、温かい日差しがさしていた。

歩くと気持ちが良いだろなぁー。

桜の見ごろは短い。

急に思い立ち、黒島公園・国領川河川敷・滝の宮公園へ行ってきた。

どちらの花も満開だった。

特に国領川沿いの桜並木は壮観だった。あまりの美しさにパチリと数枚。

 

河川敷

 

桜並木

 

黒島公園

 

黒島公園 

  

友人と肩を並べ ぶ~らぶら。

桜と空を眺めて たそがれてみた。

 

花見をする人も 道端のあちらこちらに咲く草花も 生き生きとしている。

春だなぁー。 

 

一面青々とした芝生の上で、氷結とピーナッツで楽しんだ。

乾杯!

生い立ちを知る私は、長い苦労のご褒美だと友人を讃えた。

彼女は私の存在が嬉しいと言ってくれた。

嬉しかった。

 

桜

 

私は、存在感のある夫に もっと もっと 感謝をしよう。

クローバー ・・・ クローバー ・・・ クローバー

 

東日本大震災が起きて1年が過ぎた。

生かせていただいていると改めて思う一日だった。

クローバー

春の嵐と白木蓮

本日早朝、散歩道の白もくれんは満開になっていた。

散歩から帰った途端、叩き付けるような雨となり、猛烈な風が吹き荒れた。

白木蓮も、大揺れに揺れたことだろう。

明日は、青空を見上げる白木蓮を見ることができるかしら。

明日のオリエンテーリングに間に合わせる為に、次女は今日中に大学寮へ戻る予定だった。

ネットとTVの天気予報を何度もチェックして、夫と次女は焦っていた。

しまなみ海道、ちょっと曖昧だけど、確か風速25メートル以上で通行止めになった記憶がある。

午後2時半頃、トラックの横転で大三島・伯方島間が不通になっていた。

午後11時、速度規制はあるがやっと通ることができるようになった。

さぁー、いってらっしゃい。

夫が次女を大学寮まで送っていった。

往復6時間の運転なので、夫の帰りは午前6時の予定だ。

考え中