結婚はママゴトじゃ無い

「結婚は、ママゴトじゃ無いんぞ。」

と、ご挨拶にみえた娘の彼氏に夫は言った。

夫の言葉が胸に響いた。

長男が嫁を貰うと言った時、「まあー、ガンバレ。」の一言だったのにね。

娘が嫁ぐとなると、ちっとばかし違うみたい。

夫は右変形性股関節症の持病があり、数年前から、とんぷくを常用しながら実際厳しい状態の中、肩を揺らし腰を屈めて仕事をしていた。

今春、疼痛がなお激しくなり、病院を変えてみると組織の損傷はひどく右脚と左の差は5cmほどもあり、即日手術(人工股関節全置換術)と診断を受けた。

7月の手術前は、驚くほどのスピードで体重が激減し車の運転さえもままならず、朝は転げながら布団から起き上がり、それでも這うように仕事に励んでくれた。

術後二ヶ月経った現在早々と退院し、疼痛は無くなったとはいえまだまだ自宅療養が必要なのに足に負担の掛かる仕事をしている。

このような姿を見るにつけ‘ これが夫の責任の取り方なんだ ’と思った。‘ これが夫の家族への愛なんだ ’と気づかされた。

「結婚はママゴトじゃ無いんぞ。(覚悟は有るんか?)」

ずっと昔。
産後の子育てが大変な時、必要としている夫に力になってもらえなかった。
守って欲しいと思っているのに安心させてくれなかった。
『父親になるって、自分の事よりも家族の為に生きるってことでしょう。』と、切実に訴える私に、
「ワシが楽しけりゃ、家族も幸せじゃ。好きなことをして何が悪い。」と、夫は理路整然と言ってのけた。
その後も夫は、大手企業のサラリーマンを勝手に辞めて全く専門外の個人事業主となった。
家族を思っての決断であることを信じ、私は夫の良き理解者となるよう努めた。私は、母として妻として当然の事を成し遂げようと必死だった。
子供と過ごす時間が何よりも大切な私にとって最適な職を見つけた。早朝は新聞配達と乳酸菌飲料のお届けをし、昼間は時折、夫のテゴをした。(テゴと新聞配達はその後も十数年続いた)
その当時、全てに余裕が無く、収入の安定や心の安らぎなど家庭に安心を求める日々だった。
私がどんなにハツラツと頑張ってみても子供たちの手本にならず、心は ふわふわ ゆらゆら頼りない。
「家事や育児は母親のすることじゃ!」と考えている夫に『お父さん!ただの同居人にならないで。』と、心の内で何度も叫んでいた。
ある日。
『あー、この人は変わらないわ。\(◎o◎)/』と、諦めた。
夫が7歳の時に亡くなったお義母さんは、好きなことをして元気ハツラツと生活して欲しいと子供に望んだはず。
私は、夫の母親になろうと思った。そうすれば、怒ることも無い。夫を子供だと思うようにした。
そんな風に諦めたはずなんだけど、子育てに協力の無い夫への恨み辛みはなかなか消えるものではない。
夫の留守中、夜中に泥棒が入ったことがある。懐中電灯の明かりが怪しい動きで天井に映るのを私がどんな思いで見ていたか・・・。なのに心配すらしてくれず、何度も午前様が続いた。
子供たちへの愛情が軽いことが許せない。家族の生活に無関心な夫と暮らして子供たちは幸せなのかしら?募る思いを自制することは並大抵では無かった。
何よりも許せないのは子供への暴力だった。私と子供たちは愛されていないと感じられた。確信出来ないまま家族で居られるのかしら?妻の想いは重く積った。

ところが・・・

私の想いは変わった。変わることが出来た。
子供たちは、私より速く父親の不器用な愛情表現を察っしていた。子供たちは、浅はかな私を許してくれていた。
優しくて寛大な子供たちは、この家庭で育った。
今、夫に感謝しています。

娘の良縁

『二人の結婚をお許しください。』

と、麗しの影武者さんが現れました。

もはや彼の存在は幻だったの?と思うこの頃でした。

「ワシの娘に彼氏はおらん。」と、言っていった夫ですが、これで認めざるを得ないでしょう。

夫は、飲み干した湯飲みをトン!と テーブルに置いて、私に無言でお茶の催促をします。

トン!の音の度に影武者さんの膝頭にある拳が、ギュッと引き締まります。

「遅い!」

「結婚は、ママゴトじゃ無いんぞ。」

と、夫の二言が部屋に響きました。

 

うさぎが娘の良縁を知らせてくれました。

私は、ホッと胸を撫で下ろしました。

 

月

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退院

皆様、お元気でお過ごしですか。
朝夕日毎に涼しくなり心地よい時節となりました。夫は、お彼岸に入る前に無事退院することができました。
入院中は大勢の方に温かいお見舞いと励ましをいただき、また、退院に際しましてもご丁寧なお祝いをいただき、大変に心強く、感謝の言葉もございません。
しばらくは様子を見ながら自宅療養に努めてまいりますが、順調に回復しておりますのでどうかご安心ください。
これからも変わらぬお付き合いのほど、お願い申し上げます。

今日は病棟の仲間が大勢エレベーターまで見送ってくださり、夫の愛されキャラは健在だな~☆”と、確信しました。
エレベーターの中で『外面は抜群にエエねぇ。』「お互い様じゃ!」とプチバトルとなりました。

今年の夏は本当に長かったね。
入院中は、エレベーターまで送ってくれる夫と7階の窓から燧灘を見渡していました。
秋風の訪れるこの窓にも「さようなら」・・・。
入院生活前半の一ヶ月、夫は驚くほどのスピードで体重が減りました。思うように歩くことも出来ず、体は動かさないと本当に弱ると実感しました。
後半は、病棟の仲間に励まされ階段や中庭などを利用し毎日調子良くリハビリに専念しました。
今は、後遺症もなく普通の生活に戻るリハビリ中です。手術前のような疼痛はありませんが、稼動域を把握していない為の痛みがあるようで…それって、無理をすると脱臼しかねないってことなのでしょうか?爆弾を抱えた心地です。
私の体調は万全で、この二ヶ月間、家と職場と病院を行ったり来たり。表向きは平然と!ふふふ…なんとか遣って退けました。
お金もいっぱい使いました。大黒柱が倒れると、家計は火の車だなぁということを再確認した次第です。

健康が一番です。皆さまも、くれぐれも健康にはご留意ください。
また皆さまのご家族にも祝福がありますように。

バラ

中秋の名月を愛でながら

中秋の名月です。

安定した天気に感謝して、月を眺めています。

そして、

眩しく凛とした光の中から うさぎが飛び出してくるような、そんなサプライズを期待して…。

娘の良縁を持ったうさぎが訪ねてくるのを待っています。

手紙がいつ届いても良いように 今も此処に座っております。

月