【自分が園児だった頃の忘れられない思い出】
と言う5月のお題◕‿◕。
今月の報告書は、楽勝! 唯一の思い出があります。

私は6歳になったばかりの頃、物干し竿を持ち歩いたことがあります。
その当時、自家用車を家庭で所有していることは珍しく、その車で松山方面(動物園、松山城、道後温泉、飛行場 etc..)へ毎月のように家族で出掛けていました。
行く時は、新居浜-西条線海岸道路を通り、その境界の仏崎は まだまだ静かで、車窓から眺めるその周辺はとても美しく、視界を次々遮る松の木と青い海は絶景でした。
ただその道を通る度、気掛かりなことがありました。
それは、ペチャンコになった亀が路面に放置されていることでした。
行楽日和のある日、予定していたお出掛けが、中止になりました。
私の顔を見ることもなく忙しく家事をしている母にその理由を何度も訊ね、‘’仏崎に幽霊が出たから‘’と
ようやく聞き出した私は、
「そうだ!幽霊は・・・亀の化身に違いない。」
と、奮起しました。
籠に詰まった洗濯物を横目に 私は、物干し竿を引きずり 西へ西へ・・・。
てく、てく。 てく、てく。
カゴ車やトロッコが走る踏切を渡り、その仏崎まで 歩いて行きました。仏崎までの道のりは片道3km以上はあったと思われます。
車とすれ違う度、風が顔や胸に強く当たります。背丈よりも長いその竹竿を 途中何度も右に左に持ち替えながら歩きました。
竿を握る手にジンジンと振動が伝わります。左右クネクネ曲がったり急な上り下りの 長~い道のりでした。
てく、てく。 てく、てく。
やっとの思いで仏崎に着いた時、予想していた通り、道のど真ん中に亀の姿がありました。
私はそのシャゲきった亀を竿でつつき、今にでも滑り落ちそうな路肩からその亀を海に放り投げました。
「このお祈りでイイ? どのくらいお祈りしたらイイ? もっと?」
と、しゃがんで手を合わせました。
帰る道々、竹竿を置き去りにする事も考えましたが、持ち出したものの 母が困ると思い 持ち帰ったのでした。
何故、物干し竿を持って歩いたのか不思議でしょ? 何を考えていたのでしょうかね?
亀の墓標や海に返すための道具だとしたら長すぎるし…。
あまりに厄介なものを持ち歩きながらも 思い出す限りでは、決して後悔をしていませんでしたから、何か理由があるはずです。
その日は、弟が水疱瘡と診断された翌日のことで、弟にばかり手を焼く母を数時間困らそうと思っていたのでしょうか?
そう、ヤキモチ! それでしょうね。
私が水疱瘡に罹ったのは、そのまた翌日のことでした。

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