先週、母の免許返納の手続きに付き添いました。
「朝、警察署が開くころに行きたいんよ。」
の 願いどおり、少し早い時間に迎えに行くと
細くて小さい母が、既に農道に出て待っていました。
私の車が近づくと
門柱の前に立っている母は、軽く手を振りはじめました。
母が立っている隣にはコスモスが咲いています。
私の視線に気付いたのか
「コスモス、可愛いでしょう。」
と、車に乗り込みながら母が言います。
コスモスが、揺れています。
ユラユラと 揺れています。
可愛いと言うより…
その花は母と妙に調和していることに気付いて、
私は、アクセルを踏む力が無くなってしまいそうでした。
私が納得するまで?
心が落ち着くまでと、言った方が良いでしょうか。
いつに無くバックミラーの調整やら 座席の座り心地などを尋ねたりして…。
何かしらそわそわ。
用件を次々済ます車中、取り留めのない話をいくつかしましたが、
大半は、母の話に相槌を打つ私です。
明らかに、母は変わりました。
まるで観音様のように柔らかく静かになりました。
予定外の用事なども済ませ母を家まで送りました。
買ったばかりの食材を実家の台所へ持っていき、置き場所を尋ねながら冷蔵庫に仕舞います。
帰り際、
コスモスの傍に立ちじっと見入りました。
私も揺れています。
Blogに書いた言葉を引用すると
かつて①、
久しぶりに我が家に立ち寄ってくれた母が、
「やっぱり あなたにまるちゃんを渡すんじゃなかったわ!」
と、目と鼻を真っ赤にしてすごい剣幕で婿殿に言い放ち、威勢よく帰っていった。
私は、母の所有物ではありません。
渡す?渡さない?だなんて、私を大切に想っていたの?
夫は、私を好きなように泳がせてくれる。
少なからず母より私の意思を尊重してくれる。
その昔②、
私は実家に帰る事だけはしたくなかった。
どんなに辛い事があっても 頼まれごとやお誘い以外に帰った事が無い。
母の元では 私は私で無くなる。
全て母の思い通りにしないといつも批判がついてくる。
私は与えられている環境の中で 楽しく生活をする方法を考えた。
さらに昔③、
母は、私の気持ちに無関心で、自分の感情のまま家族を誘導していた。
時折、理不尽な言葉を私に投げつけて、
それは、母の優しさに触れた後にも油断したら浴びせられた。
などと書き綴っています。
ごめんなさい。浅はかな娘ですね。
Blogをはじめて15年、
傍目にも自信満々に生きている母親の姿を見るのが嬉しい反面、
幼少期や思春期、そして、成人期、当時の言葉にならない苦痛と両親に求める激しい感情を 書いてきました。
母から生まれ今の私があることに心から感謝できるようになったのは、一般に壮年期と言われる齢になってからでした。
コスモスが、揺れています。
ユラユラと 揺れています。
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