サイト名



サイト名、「まるさんの心日和」は、
本来「〇△□の心日和」だったことをご存知でしょうか?



はじまりは、言葉に表現できない心持ちを〇△□の世界で例えていました。



見つけましたよ。
名残りは“種を蒔いています”に有りました。



ちょっと戻してみます。
どうかな〜〜〜♬



いつの間にか、戻すのを止めるかもしれません。

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パーティション



空間を仕切っていたパーティションを一斉に取り外しました。
視界が開けるとともに雑音がパキンポキンと拡がっています。
皆、歓声をあげていました。
実に3年ぶりのオフィスの姿だそうです。



人の声が騒がしく聴こえます。
コピー機や電話の鳴る音が響きます。
私は警戒モードがオンになったようです。危険を察知したのか体が萎縮しています。



ディスクパーティションがあったからこそ、聴き取り方が不調な私でも務まっていたのだと気付きました。



今日は、とても疲れました。
直に慣れるでしょうけれど…。
耳慣れするしかないのです。



さて、派遣のお仕事、連休を挟んで残すところあと1か月となりました。
精いっぱい頑張ります。

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犬が容赦なく私の足首に次々襲い掛かってくる。

最後にリスクを冒したのはいつですか ? 結果はどうでしたか ?



夫がサラリーマンを辞めて不意に帰ってきたのは、30数年前のこと。



しとしと雨の降る日だった。
私は、早朝4時、バイクで新聞配達をしていた。
終盤になりナイロンを掛けた新聞が無くなった。
工業団地のポストは比較的新聞が湿りやすいので、後の数件分をナイロン袋に入れようと ある一画に差し掛かった時バイクを止めた。
すると、数匹の犬に囲まれた。
「ウゥーーーーーーー。」
と、うなる鳴き声。
暗がりの中 白く光る牙。
私を取り囲むようにじわじわ寄ってくる。
私はバイクにまたがり必死で走った。握ったグリップをしっかり回し速度を上げた。
犬達は、容赦なく私の足首に次々襲い掛かってくる。
左足でギアを代えると即座に両足をVの字にハンドル程の高さまであげた。
私は、その格好のままスピードを上げ、直進するしかなかった。
犬の目線は、すきあらばいつでも飛びつこうと私の足に向けられている。
一番大きい犬が最後まで追いかけてきた。
何度目かの交差点を抜けると、ピタッと犬は追いかけてこなかった。
縄張りがあったのだろう。
私は犬たちの領域を荒らしたのだった。



逃げ帰った私は、あの区画に差し掛かったら立ち止まってはいけないことを所長から知らされた。
犬の必死の形相がいつまでも目に浮かぶ。
負けたくは無かった。
立ち止まるわけにはいかない。
しんなりした奥様では生きていけない。
もうちょっと強くなりたいと意欲が出てくる。



再度挑戦!
工業団地の塀に埋め込まれたポストに、走行しながら足にパンと打ち付けた新聞を瞬時に片手で三つ折にして投げ込む。
犬のうなり声を聞きながらただひたすら突っ走り、その並びを同じパターンで5件届けて完配した。
工業団地を無事抜けた時、喜びが湧いてきた。



その後十余年、新聞配達を頑張った。
何事も喜びが無いと前進しないものなのだろう。
リスクに魅せて魅了する喜びがある。
今となっては、なんとまぁ変な喜びだなぁと思う。



リスクを負っても、結果は成功だった。
安心、安全、安定と言う“安”の字とは無縁かと思われるような生活だったが、
わずかでも決まった日に決まった額が確約されることは、子育て中の私には、心が落ち着く唯一の時間だった。

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責めるとき

どんなときに不安になりますか ?



不安はどこから来るのでしょうか?



「不安は外からやって来るのではありません。いつも心から起きるのです。
自分の思い込みから抜け出さない限り、人生を通して苦しみ続けることになりかねません。」

と、説法を聞いたことがあります。



不安は自分の心が生み出します。
誰のものでもない誰の性でもない自分の心から生み出されるということです。



誰もが不安を抱えます。
私もそうです。
包み隠しているけれど、何らかの正論のもと、私は不安を持っています。



不安は心の影ですから、不安は口にしません。
口にすると形になりそうです。



不安が真実になった時、対策を練るしかありません。
そして、心を整えて行くことが肝要です。






多くの方が、



「正義と道徳のある正しい行動をする」
その言葉に近い校訓であったり企業理念に身を置いて来たのではないでしょうか。



人は、自分を律しながら正しい所を探します。
正しい所に立っていなければ、自分は見捨てられる不安があるからです。



悪いものを責める人は、自分が悪になることを責めます。
この時、人を責めることによって正しい所に立ちます。
頭は、責める感情を一人称と捉えます。
正しい所に立っている時は、自分を責めている時です。
見捨てられる不安がある限り、正しい所に立って自分を責め続けます。



つまり、基本的な考え方を持っている人は、不安を持つと言うことです。

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あらあら、
さも道理が分かっているかのように書いてしまいましたね。



その説法の終盤は、
「私は、あなたを許します。あなたは、私を許します。と、3回となえてごらんなさい。」
と、おっしゃいました。



自分の思い込みの中でも責める感情が大いに不安を呼ぶと言います。
“許します”の言葉で気づかされ、私の心は開放されたのでした。



どんなときに不安になるのでしょう?
というお題。
今回は、具体的なことには触れずに広域な視点で長々と書きましたが、
心を幸せにすることが人生にとって何よりも大切っ。と思い、ゆるりとまとめました。

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