母の希望



玄関先の面会が許可されたので、特別養護老人ホームに入所している父に会いに行きました。



母・私・娘・孫娘の4世代がエントランスで待っていました。



車椅子に乗った父が、お人形と一緒に 介護士の付き添いで下りてきました。

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父は、つーちゃんと初お目見えです。



「つーちゃんに会うと喜ぶわー。」
と、父の喜ぶ顔を楽しみにしていた母の希望はかないませんでした。



「つーちゃんよ。まるちゃんと孫と曾孫よ。」
と、話しかけますが、
父は笑みを浮かべ、お人形を揺らして遊びはじめました。



介護士が
「このように、穏やかにお人形と遊んでいる様子を良くお見受けします。」
と。



施設での様子を見学することはできましたが、
父と意思の疎通ができませんでした。



母は、あれこれ言葉を変えて父に話し掛けます。



「おじいちゃん✨そのお人形は、まるちゃんが子供の頃大切にしよったんよね。思い出すねー。じいちやんの考えとること、ばあちゃんは、ちゃんとわかるよー。」



母は、互いに伝えようとしていることが理解できないままでは寂しかったのでしょう。



母が声を掛ければ掛けるほど、私の胸にある父の存在と現実は遠ざかっていきます。



車をそのままにして、すぐ近くの東浜公園で遊びました。



「ばあちゃん!ばぁば!ママ!」
と、つーちゃんの可愛い声が公園内に響きます。



つーちゃんは、母のことをばあちゃんと綺麗に発音します。
私へのばぁばの呼び名とハッキリ使い分けをして話し掛けてくれます。



ブランコ・滑り台・網状のトンネルでドンドン遊ぼうと誘発するつーちゃんに、
母は元気をもらったようです。

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公園内で10時半、
なんと母の歩数計は4000歩を超えており、
ちなみに私の歩数計は1000歩余りでした。

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「まるちゃん、この歩数計は、かなりエエわね。楽しみのひとつで励みになるわ。」
と。
日々、歩数計の数値に一喜一憂し元気をお越して生活しているようです。
母は、毎日12000歩〜18000歩の数を叩き出しています。
もはや曾孫と滑り台を滑るのが恐い、
ブランコの揺れに身を任せるのが恐い、
と言う母が、
いったい、どうすればこの数が出せるのか不思議です。



この数値と同じように、努力で…
母の希望が叶うと良いのですが。



網状のトンネルを除くと、ほら♬ 明るい未来が見えますよ🌹

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※ 追貼

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おそるおそる



昼過ぎ
寒いかなー?
と、おそるおそる表に出てみると
大丈夫!!
風は無く
今日も ほどよくお散歩日和でした。



各ご家庭の花壇の彩りを楽しみつつ
腕を振って
おいっち.にー.さん.しー.✨✨✨

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その後
母からの連絡で実家へ行きました。



嬉しいことに
大根が…
たくあん漬けに最適な干し具合いです♬
おかげさまで大根を漬けることができます。



今年は諦めていたのです。
5月の事故以来、
身体が宙に浮いているような、ふわふわとした感じが時折あることを母に伝えていたら
このように洗って干して、いつでも漬けれる状態に
母が手を掛けてくれていました。

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14:00、母の歩数計は18000歩を越していました。
この時の私の歩数計は5000歩余りです。
わたし、未だに84歳の母に何ひとつ敵いません。

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お義母さんの「ツライーーー」



昼過ぎ、お義母さんから電話があって
「まるさん、朝からずっと通話中じゃね。暇なけん、友達と話し込んどったん?それにしても、頃合いを考えて話を止めるように・・・」
と。



私は意味不明???



私は、
もうそろそろだなー。
って、母からの電話を待っていましたよ。



散歩がてらテクテク母の家へ行きました。
固定電話の履歴を見ると
確かに私と繋がる前に10数回発信している先があります。
なんと
母の家の電話番号でした。
ご自分に掛け続けていたようです。



再ダイヤルのボタンを知らず、
何度もフルで手打ちダイヤルしていたようです。



ニマッ🥰
私と話をしたかったんですねー♬



「あらー、ツライーーー😰」
と、母。



お義母さんのツライーーー
久しぶりに聞きました。😄



やはり、
母の頼み事は、PC.での年賀状の宛名書きでした。



いつもなら、
急用でない限り、繋がらないならまた明日。
と、思う人なのです。



通話中だと勘違いをしているから、家に居ると思っているから、そりゃー早く頼もうと思いますよね。



お義母さん、また来るねー😆

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終の住処と思っております



父の好物は沢山ありますが、その中でもヤクルトは長期にわたって強い関心を持っている飲み物です。



ヤクルトレディーさんが飲料を届けてくれた日の午後、
母のお伴をして父に会いに行きました。



車椅子に乗った父が、スタッフに付き添われ会議室に入ってきました。



ニコニコ笑っている父に
「だ〜れだ?」
と、母が問うと
「あーーー。」
と、父は、不安そうな顔をしました。
閉じている目の奥では、眼球がクルクル.クルクル.回っていることが見て取れます。
誰なのか真剣に考えています。



「あぅ…ヤクルトの人じゃ。」
と、父がボソッと言いました。



母の小脇にヤクルトが有ることを気付いたようです。



私と母は顔を見合わせて笑いました。
父は、私達を見て失礼の無い答えを言えたことに安堵している様子です。



「私を忘れて、ヤクルトレディーじゃ言よったねー。」
と車中、母が言いました。



最近の母は変わりました。
以前の母ならば
「違います。それくらい覚えてないん。ワ・タ・シ・です!」
と、きつい言葉を発していたでしょう。



母の言葉に堪え兼ねて父は山奥に入った事があります。
結局、一人で帰って来れず、消防団や近隣にご迷惑をお掛けしたのですが…。



母は、丸くなっています。
と、安心していたら…。



施設から電話がありました。
「私共…配慮がいたらずに申し訳ありません。」
と、謝罪でした。



え何?
戸惑う私です。



よくよく話を聞くと、低栄養を疑う、トイレの介助、父の肌着や窓の明るさ、時季外れのシューズの件などの苦情を その後、母がしていたようです。



「母の言い分をサラリと聞き流してください。終の住処と思っております。今後も宜しくお願い致します。」
と、私は、謝罪に伺ったのでした。

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あったこと思ったこと



先日、着付けの先生とその生徒たちと飲みに行きました。

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事前に、
皆さまのお召し物を先生にそれとなく尋ねて、着ていく物を決めました。



当日、
先生から教わったとおり、着る順に並べました。
これで大丈夫!

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待ち合わせの時間が刻々と迫るなか、落ちついて着付けをしました。



如何でしょう?

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参加者5名の慎ましい食事会でした。




酒宴席の話を何処まで話したら良いのでしょう。
気付きの多い大切な一日だったのですが、書き綴るには場違いのような・・・。



傍目には、
この数ヶ月の精神的な紆余曲折を言葉にできるほど、元気な方々でした。



実は、新型コロナウイルスがもたらした悲劇のひとつだと思うのですが、
亡くなる最期の時を過ごすことができなかったことを悔やんでおられる方もおいでて・・・。



わがまま言わなきゃ良かった。
あの時こうしておけば、あの時ああ言っておけば良かった。
と、泣いて泣いてこの数ヶ月散々悔いたそうです。
大切な人との死別を通して、どんなことを学べばいいのでしょう。
とも。



別れを経験した人に向けて、私の言葉は無力です。
ただただ、うなずく私です。
友と飲み、自分の思いを言葉にしなかったのは初めてです。
何と言葉を掛けたら良いのかわかりませんでした。



私が認識したことは、
突然、大切な人を失ってしまうこともある。
苦しみやつらい気持ちをどう受け入れるか、
そして、どのように自分を取り戻していくか、
その後が…試練だなー。
と。



不謹慎かもしれませんが、
私の親は、自分とは異なる考えを持っています。
似ているようで似ていなかったりするので、大切な人とは、ちょっと遠い存在です。
そのように客観的に思っている今を悔いるほど、
激しく泣いて別れは苦しいものとなるのかも知れません。
と。
頭をよぎったのでした。



先生の温かい心で接しておられる様子は、真実の姿であり、
自分の人生をかけて、この人を大事にしてゆくという覚悟を感じました。



その話しの後、
場所を変え飲み屋街へ行きました。
オシャレなソファーに座りママと皆でカラオケを楽しみました。



その数日後、
着付け教室の先生よりメッセージをいただきました。

人生いろいろ

誕生日おめでとうございます
365分の1
その1日が、幸せでありますように♬

と。

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自撮り難しいわね♬

後日追貼!
勇気を出してドアップの顔出しです♬

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