この記事は、投稿できずに下書きのまま放置していました。 現れたり、隠れたり...何度も編集を重ねました。重~い想~いお話です。

数日前のこと、集中治療室で会った術後の父は異常だった。
「娘さんが、いらっしゃいましたよ。」と、看護師に案内されて奥に進んだ。
ベッドに寝ている父を覗き込むと
「そんなにニコニコ笑って嬉しいかい。こんなになった姿が楽しいか?私をうらんで…」と、絞り出す声で言った。
父は怒っているのか?いや違う おびえている様子だった。
数時間前に母から、呂律が回らず会話をする事もままならないと聞いていた私は、その父の言葉にビックリした。
よみがえった。
記憶を飾って生きてきた。平常心で生きることは難しかった。
自分の奥深くに固く封印しているものがある。
何かの弾みでよみがえる。
どんな事情でどんな事柄なのか詳細までは記憶から取り出さないようにしてきた。
それは、怖くて、不安で、狂いそう、それに近い。
比較的鮮明に幼少のころを思い出し、苦痛な面持ちを隠して数日過ごしていたが、ひょっこり...飾らない私は健全だと。。。
母は、私の気持ちに無関心で、自分の感情のまま家族を誘導していた。時折、理不尽な言葉を私に投げつけた。それは、母の優しさに触れた後にも油断したら浴びせられる。
父は、母の言いなりで私を押入れに閉じ込めたり、私を布団で巻いた。彼らは、意識が遠ざかる私を放置した。
数回のことか?数年続いたのか?私の心と身体は痛めつけられた。そこから逃れるために感情を押し殺し、現実と夢の世界を右往左往していた期間は長かった。
幼少期、どれが現実で、何が夢なのかわからない生き方をしてきた。
鏡を見て自分のこめかみをつまむとキリリが現れる。その時だけキリリと名乗る女の子と会話ができる。
夢の中でキリリがしたことは、無情なことばかりだった。
夢だと思っていたキリリの悪戯が、現実に次々と現れる。
私は知らない!と、訴えても信じてもらえなかった。
母は、私を“嘘をつく子”と思い込んでいた。
思春期、キリリはもう現れなかった。ただ、弟を溺愛する母の姿を見たり、意識が飛んで真っ白になるたびに不安や悲しみが怒りに変わった。他者とも関わろうとせず、ニコニコ笑うことに徹して、感情や体調、そして他者とのバランスを保つのがやっとだった。
今、ようやく その当時の言葉にならない苦痛と両親に求める激しい感情を 書くことができた。
と、書くと「嘘を並び立てて薄情な娘だ」とか「人は見掛けによらないね、狂気的な親だ」と言われそうだ。まだ隠しておくべきだったか。
傍目にも自信満々に生きている母親の姿を見るのが、私も嬉しくて、暴露することができなかった。
母から生まれ今の私があり、心から感謝しているので、いえ、それより自分の汚点のような気がして、長い期間Blogをしていても 今まで書けなかった。
いわゆる私のミエ・マネジメントだ。
今、飾らない私は健全だと確信したから書いている。
父と母は、彼らなりに一生懸命生きてきた。私は、両親を憎んではいない。
私は両親との間に距離を置いてきたが、怖い記憶を頭から取り出して、新しく色々と見えてくるようになったのは、二十歳を過ぎてからだった。
“それでも母を求めている…。血縁がなければどんなに楽だろう。”と苦しんでいる私に、その頃出逢った呉服屋の店主が言っていた。
「許す日?許される日?まるちゃん、和解をしようと思っているの? 親子の関係は、和解じゃないんだよ。ただただ感謝しかないんだよ。」
4人の子どもを育てながら、いつ来るともしれない母の優しさを求めた。あらゆる角度からその寂しい心を捉えるようになり 幸せは自分次第だと気付かせてもらった。
愛されたい激しい感情を隠し、自分の記憶を封印し、幸せの感度を高めることに邁進してきた。幸せの心持ちを...保つために、長~い.長い月日、父と母に距離を置いてきた。
ところが、10年前の事、その思いが自然に溶けていくのを感じた日があった。
右のお話しを読んでみてくださいな♬ ⇒ 願うものにあらず
更に、心の底から感謝できるようになったのは、ごく最近になってからだった。
両親の愛に気付くまで、随分 遠回りをしてきた。
私は、今では満たされている。(と、思っている。)
しかし、父は、自縛から溶けていなかったのか?苦痛だったのか…。
私を見ておびえることは無いんだよ。
もうしばらく距離を置こうか。
😔

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