子ども(孫)が習い事や登校を嫌がる。とか
仕事を辞めたい。とか
交通事故にあい全損になった。とか
赤い糸は何処に繋がっているの…結婚への道は遠い。とか
私の子ども達は、実に正直に話をしてくれます。



聞きながら…
私にできることは無いかしら?
と、あれこれ思いを巡らすけれど、
ただただ、私は聞くことしかできません。



確実に子ども達は独り立ちの階段を上っています。



その階段の立ち位置は、私よりも遥かに天空に近いと感じることがあります。



子どもの精神の働きは私以上に優れています。



私の偏った経験や私の小さな世界で解決を考えないほうが良いように思います。



それぞれの環境や社会が教えてくれることでしょう。



なのに…。



あの子、大丈夫かしら?
がんばり過ぎてるんじゃないかしら?
・・・
あぁー大丈夫さ!
うん、大丈夫だよね。
心配より信頼よ。
と、堂々巡りを繰り返し、心配を払拭するまで 浅はかな時間を掛けています。



不安や正論を大義名分とせず、子ども達の頑張りを見守って行きたいと思います。



それぞれのできごとを悩みだとするのなら、
その悩みを生み出しているのは自分です。



悩むことはないのです。
責めることはないのです。
不安に思うことはないのです。



そうなのね。と、
認めることで楽になることもあります。



心を幸せにすることが人生にとって何よりも大切です。

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母の日までの一週間は、あんみつとゼリーの詰め合わせを筆頭に 実に有難い贈り物が続きました。



可愛くてキレイなカーネーションです。
水色と赤(相配色)の組み合わせは、元気を感じます。
お花は見るだけでも楽しいけれど、自分に贈ってくれたとなると なお嬉しいです。

この花はどれに挿しましょう?それとも組み合わせて生けようかなー?
花瓶をいくつか揃えてありますが、
自分で花を買ってその花瓶を活用することは、最近トンとなくなりました。



白い蝶と赤いカーネーションをあしらったロールケーキ♬
孫娘が選んでくれたそうです。
私のことを考えてくれた時間があったなんて…
私はなんと幸せ者なのでしょう。
ばぁばのことを忘れて良いから、楽しい事をいっぱい考えてね♬



孫達の庭に成ったそら豆です。
皆で皮むぎに精を出しました。
そして、
湯がいてモリモリ食べました。

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繋がってゆく



長女から孫のお着替え袋を頼まれました。



押入れに仕舞ってある端布の中から布地を選び、そして、
袋の仕上がりまで、
それは贅沢な時間の使い方だなあと思いました。



ひょんなことから、耳が不調になったので、
ミシンの音が電子音になって脳内に響きます。
だけど、私には幸せな時間でした。

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人が育つには時間がかかります。



私は家庭を持つことができ、4人の子を授かりました。



どんなにお金を手に入れたとしても、どんなに地位や名誉を手に入れたとしても、この宝はどれも比較にはなりません。



初のくしゃみやあくびに驚き、小さな命に感動したことを覚えています。



それぞれの出産を思うと、ひとつひとつ、運に恵まれているなぁーと思います。



子ども達から得るものは多く、沢山の喜びをもらってきました。



困った顔。感激した顔。頑張る顔。私の存在など気にも留めない顔。



一人一人、幼少の頃からの顔がしっかりと思い出されます。



私は、子ども達の顔ばかりを見て過ごしてきたのかもしれません。



私の行動で、私の言葉で、子ども達がなおいっそう幸せになるのなら根気よく頑張ります。。。



目の前の子ども達の要望に愛情を持って接してゆきます。



そうすると、子どもの心は豊かになり、時間は掛かるけれど、だんだん心が育ってゆくのだと信じています。



それは、母から子どもへ、そして、未来へと繋がってゆくことを感じます。



これからも、のんびりと自分の人生をかけて子ども達と付き合ってゆきます。



それが私にとって一番の楽しみです。

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【追記】
届いたよ〜♬と、画像が送られてきました。
来週、孫は一時預かりにチャレンジするそうです。

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娘の育児



娘は現在育児中です。
子どもが駄々をこねた時の対応に知恵を絞ったり、生後5ヶ月から毎食手作りで離乳食を工夫してきました。



その甲斐あって、子どもはすくすくと育ち、卵白アレルギーを少しずつ克服しています。



簡単で楽な方法があるように思いますが、大変忙しい毎日を自ら選んで過ごしているように見受けます。



娘のInstagramで知りました。
これまでの大変さを活かすかのように、その努力を何かの形に残せないかと考え、『離乳食・幼児食コーディネーター』の資格を取ったようです。



寝静まった夜、子どもの成長の為に勉強を重ねた心意気は、アッパレです。



子育ての自信なんて、何年勉強をしても何十年子どもと向き合っても得るものでは無いことを私は知っています。



知っているからこそ、
今、ここに記して
涙ぐましい娘の努力をほめたたえたいです。

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摩擦レス



「はい!この味もイイよ!」
と、次男はエナジードリンクを私に差し出す。
仕事を終え、車で40分間の帰宅途中、コンビニに立ち寄り眠気覚ましに飲んでいるようだ。

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私は、手渡された缶をプルンと降るのが癖になっている。
軽っ!!
ほぼ空き缶。
「これっぽっちじゃ、お味は分からないわ。飲みきってね。」と、御膳の斜め横に置いた。



缶の処分を私に委ねているのでしょうけど、毎回ほんの少し残っている。
残量は、処分の謝礼のつもりかな?
それとも
ひょっとして味の共有をしたかったのかしら?
そうだとしたら可哀想な対応をしちゃった。と、思うのだった。



次男は、朝食を食べて食器をシンクに下げてマンションへ帰って行った。
テーブルには、あの空き缶が置きざりのまま…。
私は、洗って所定のゴミ箱に捨てた。



長女がこの光景を見たら「自分で片を付ける!!」って憤慨するのでしょうねー。
「こんなに頻繁に実家でごはんを食べるなんて😂一人暮らしが板についているとは言えない。」
と、声が聞こえそう🙄



食事と言ったって、こんな粗食なのにね😁

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私は、次男と同じ空間に居て28年、全く摩擦を感じたことがない。
むしろ、居心地が良い。

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先日、次男に頼まれて彼の住むマンションの掃除をした。



掃除が行き届いて綺麗な部屋だった。
キチンと片付けられているキッキン。
窓から光が入る様は、とても気持ちが良かった。
清々しさを感じた。



ところが、
洗面所と風呂は、澄み切った空気…とは言い難い状態だった。
浴槽垢の擦りキズとカビキラーの空き容器がゴミ箱にあるのを見て、彼なりに頑張った形跡はあった。



洗濯槽の洗浄も含め、3時間掛けてようやく水回りが綺麗になった。
ウタマロと風呂職人で摩擦レス。更に良くなったよー♬
と、LINE をして帰った。

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連絡を取りたくても音沙汰の無い私に腹を立てた長女の反応は、過激だった。
「一人暮らしの息子に頼られて、部屋に入れてウカれとる母に物申す。
仕事行っとる間に、部屋がキレイになっとる?
そんな甘やかしはイカン!!
自分の部屋、自分で掃除するの当たり前でしょう!
どうやったらえぇか、そばで教えるならまだしも…
相手はアラサーよ!ためにならん!
etc… 」



母さんからすれば
まだ独り身の次男は、
連れ合いが居なくて不憫だわ😔



長女には、相棒が居るでしょう。
二人で相談しあって力を合わせて頑張れるでしょう😉



スッキリしたはずなのに
すっきりしない一日だった。

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※追記

子どもが私を必要とするのなら、子どもの為にどんな些細な事でも動いてあげようと思います。

成人したのだから、自分のことは自分でできるようにならなければと言う人もおりますが、子どもが私を必要とするのなら、親として子どもの為に何かしら協力してあげようと思います。

社会は甘えることのできない世界です。
母親には安心して甘えて欲しいと思います。
いっぱい甘えてきたからこそ、甘えることができない社会へと安心して飛び込んでいけるのだと思うのです。

子どもの将来を考えると、子どもが満足するまで、子どもの甘えに応えてあげるべく 親として想いを寄せることが大切なのでは無いでしょうか。

これからが長い長い道のり…

人生を思い通りに生きている人は少ないでしょう。
何かしら思い通りにならない現実を抱えながら生きているのだと思います。



私は人生の折り返しを明らかに過ぎていますが、これからが最も長い長い道のりになるのかもしれません。



様々な摩擦があり、今を大切にすることは難しいです。
かと言って 自分を取り巻く環境を変えることは、とても怖いです。
その怖さは、経済面であったり、
自分の人生を否定することになりはしないかと。




夫婦や親子の縁、逃げても 逃げようにも 逃げることはできないものです。
カモフラージュしたとしても、逃げ通して目の前に姿が見えなくなったとしても、過去にとらわれて苦しむことになるでしょう。



気心知れた家族でも同じ生活空間に居ると摩擦は生じます。
心を許す関係であれば有るほど甘えが現れ、人の心は激しく揺れ動いて突進してきます。
いつなんどき、その摩擦で平常心を覆されはしないかと不安になるほどです。
穏便がいいし、喧嘩などしたくないし、当たり障りなく生活したいです。



家族の爆発したい気持ちがわかると言えば嘘になりますが、キャパを通り越した何かしらの想いが有るのだと察します。
家族が声を発して苦しさの全てを話すことは無いと思います。
もし、その声を聴いたとしても、自分はそれを受け留める力が有るでしょうか?



人を変えていくのは難しいですし、自分の想いに蓋をして良い人ぶるのも疲れます。



ただ わかることは、
人を否定するとどんどん苦しみの底に沈んでゆくと言うことです。



摩擦から生じる苦しみから逃れるためには、相対する言動に執着することなく、常に今の自分が自分なんだから、自分の思いが現れているのだと自分を受け入れてゆくことが大切かと思います。



「貴方はこうだからそうなるのよ。こうしてください。」
とだけは、言わないように気を付けます。
人を変えようとする発言だけは止めようと思います。



「母さんは、この包丁を自分の胸に刺したいくらい寂しいわ!」
「私は、この道路に飛び出して木っ端微塵に砕け散りたいほど辛いわ!」
と。
そう言ってしまいたいほど孤独の時間があったことを ここに書き記しておきます。



いくら心の内だったとしても、
もっともっと苦しい人の思いを鑑みると…持ってはいけない感情や してはいけない発言でした。
あーーーー、甘ちゃんで浅はかですね。



自分の想いを何処まで相対的に、そして、的確に言語化できるか試練です。



自分の時間を否定することなく、過去にとらわれることなく、人や自分を否定することのない道は、どうしたら良いのでしょうね。



鬼の面に相対しても素敵な時間づくりを心掛けるように致します。幸せの気持ちをお越し続けます❤

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