生き抜く



「パパのイエにかえるの〜♬」
と、2歳の孫が嬉しそうに帰っていきました。



お昼寝から覚めて、場所が変わり…じぃじとばぁばが居ないことに気付いて泣き出しては大変と思っていましたが、その心配は無用でした。



娘(母親)の運転で無事に帰宅したようです。



この一週間、毎日がお誕生会のような騒がしさでした。



ワタシ、頑張ったわーーーーー❤



私「暑いね。誰もがこんな風にシンドイのかしら。」



夫「大丈夫じゃ!あんたは、シッカリ動きよるぞ。」



私「この暑さの性かしら呼吸がしづらいわ。酸素が入って来ないわ。」



夫「大丈夫じゃ!あんたは、自分がどれほどしんどいかシッカリ話せよるぞ。」



なんとも ちぐはぐな会話でしょう。

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生き抜くのに必死!



外壁と犬走りの隙間から茎を伸ばしています。



根付いて葉を伸ばして大きい花を咲かせる手筈が整っています。



風に運ばれてココまでやってきたのね。



ココは北側。



日当たりが良いとは言い難いけれど、水はけは良さそう。



ユリ科のようです。



なんて言う名前でしょうか?



と思っていたら、フォローワーさんのBlog記事で情報を得ました。



タカサゴユリ(ホソバテッポウユリ)と、言うようです。



各地で根強く拡がっているんですね〜😳🙄😘



ワタシも生き抜こう!頑張らなくっちゃ❤

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古風な頭でごめんなさい



「仕事をする気力が萎えたんじゃないんぞ。ワシが動けんなるのは時間の問題じゃ!」
と、
腰や脚のあまりの痛さに、いつも強気の夫が弱音を吐き、
2度目の股関節置換手術が近いことを感じたのが年の暮れ。



耳の閉鎖感があり、拾える音が僅かなのでかなり集中して話を聞かなければならない、私がそんな症状を我慢し始めたのも年の暮れ。




年明け、お互い体調が優れない中、仕事に対する熱意から体力勝負とばかりに頑張り通していましたが。



私の症状が落ちつく兆しが見えますと
ふと、
大黒柱が倒れたら…と、不安が募ってまいりました。



夫婦二人して、生活するために必要なお金を稼いできました。
そこが崩れたら家計は火の車となる家庭でした。



これまで3度、疾病などにより夫の売上が低迷し、
お金に困りながらの子育てでした。
“金は天下のまわりもの”
と、楽観的にならなければ不安が募る日々でした。



大事なこと。

人生にとって大事なことは、どれだけお金を稼いだかではなく、どれだけ人間として成長できたか、それが大事なことです。

『命をかけるところ』仏法の教えを説いている上田祥広氏の言葉を引用



それは、そうなのでしょうけれど…。
生活をすることが必死でした。
夫は、命をかけてきました。





人間的な成長はさて置き、
おっしゃる通り、時間ができた時に、その時間を何に使うか。
それが大事だなと感じます。



今!充分時間が出来たので、すべきことを考えてみました。



我が家の場合、
余裕がないので どうやら株ではありません。
戦略は知りませんし、徹底した資金管理もできないでしょう。



ブログで収益を稼ぐ方法でもありません。
アフィリエイトとアドセンスの違いを勉強するものの、PVを増やす努力を怠っていますし、読者に向き合う自信がありません。
時代遅れの頭をしているので、良い商品を提供する才覚もありません。



それよりも、精を出して家族の生き様を残して、
未来に…子どもの心に如何に響くか?
あっ!それも遠くの夢となりました。
ただただ、遺書を残す喜びのみです。



空いた時間、更に考えました。



そうです!!
商工会議所のナイスパートナーの保証増額を考えました。
やはり今どき、本人確認が大切です。



「ワシは会わん。お前が聞け!」
そんな〜〜〜😰
と、言うことで
本人に理解をしてもらい、保険会社との面談をセッティングすることが如何に大変だったことか、
皆さまお解りでしょう。



プッシュして身を引き…ちょっとした駆け引きです。
面白い…面白い…釣れました。



今、夫が認めた(話し合いで決めましたが)商品の増額契約をしていることでしょう。



時代の流れに、私の頭が付いていけたら、いつか、インターネットビジネスに手を出すかも知れませんが、
我が家は、ココまでで、精一杯です。



頭をフル回転させて
現状を変える方法を考えています。
古風な頭でごめんなさい。
儲け話は無縁です。



夢を見るより、日々時間を掛けて働く方が、ずっと現実的です。



老後資金も貯めなければ!
旅行を楽しみたいけど今はそれどころじゃぁ…ないな。
生活の余裕、老後の安定、今が大変な時、今が大切!
ここ何十年それを思っているし言っていますが。
この難局を乗り越えるべく家計管理を頑張ります。



穏やかで、満足できる人生のために
私も目の前の職を頑張ります。
お父さん、生きる為に これからも精一杯お仕事頑張って下さいね。

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朝焼け


病室に入る朝焼け、素敵です。



私、前に進まなきゃ!
と、ちょっと焦っていたようです。
一瞬一瞬を楽しむようにしていましたが、ペースが速かったようです。
ありのまま生きたいなーって思って、加速してパワフル!
基本そう。
そう、いつも そうだった。
自分に自信を持ち過ぎていたのかなー。




散歩をいつもより長めにしたり、
ゆったり筋トレやヨガを取り組んだり、
いつものマンネリな朝ごはんにひと手間加えたり、
子どもや孫とリモートで爆笑したり、
お得な携帯アプリを教えてもらったり、
こんな中にでも
自分を認められる幸せはあると思うのよ。

🤔

🤔

先のことを思い煩わず、自分自身を生きる!
どんな自分でもいいや〜🙄

事故を受け、入院と言う機会を経て 気付くものなんですね🥰



今は、生きてるだけで、充分満足です。

髪飾り

最近、手縫いをすることあったかしら?
ボタンが取れた時とか 仮縫いのしつけや ズボンの裾上げにまつり縫いをすることはあっても
手縫いで作品作りだなんて とんと無かったわ。

寮の子どもたちに 実際に手縫いをするところを見せてあげて...。と。
わかりました。髪飾りはどうでしょうか? シュシュは簡単で、気を引くと思います。

シュシュ

夜な夜な 裁縫の基本的なことをおさらいしてみました。
縫い始め、...そうそう 玉結び!
縫い終わり、...そうそう 玉止め!
基本の布の縫いあわせ、...そうそう なみ縫い!
その他 縫い方いろいろあるわねぇ。
手縫いの様子を見てもらうだけで良いのかな...。
手元にある布地をいろいろ用意しました。

そして、当日。
髪飾り作る? 作ったことあるぅ?
あれー? 解説どころか 誘ってしまいました。
クスクス笑う小学生3人と 髪飾りを作ることになりました。
興味を持ってくれたようで嬉しい♬

ハギレを 彩り良く並べてみると みんな水色系を選びました。
流行りなのかなー?
どんな髪飾りが欲しいのか 絵に描いてみましょう。
何かを作り上げる時に 頭に思い描くモノを まず 絵に描く大切さを伝えました。
予定していたシュシュではなく、みんなの好みは リボンでした。
描くモノは みな微妙に違います。
その形に近づくように パターンを作り、布地を裁ちました。

では、はじまり はじまりぃ。
今回は、なみ縫いで ひと針 ひと針。
縫い方のポイントは、縫っている時に糸をたるませたり、きつく縫ったりしないことですよ。
......
縫い終わりは 玉どめで くるりんぱ。
針と糸とハサミがあれば簡単に手縫いができるでしょ。
はい、数センチ開けているところから ひっくり返して引っ張って…。
みな上手♬ 手先が器用ね。
仕上げは私がしましょうね。
......

はい!出来上がり♬

オンリーワンよ♪

オンリーワンよ…☆”

父も苦痛だったのか

この記事は、投稿できずに下書きのまま放置していました。 現れたり、隠れたり...編集も何度も重ねました。重~い想~いお話です。

数日前のこと
術後、集中治療室で会った時の父は異常だった。

「娘さんが、いらっしゃいましたよ。」と、看護師に案内されて奥に進んだ。

ベッドに寝ている父を覗き込むと
「そんなにニコニコ笑って嬉しいかい。こんなになった姿が楽しいか?私をうらんで…」と、絞り出す声で言った。

怒っているのか?いや違う おびえている様子だった。 

数時間前、呂律が回らず母と会話をする事もままならないと聞いていた私は、その父の言葉にビックリした。

よみがえった。

自分の奥深くに固く封印しているものがある。

何かの弾みでよみがえる。

どんな事情でどんな事柄なのか詳細までは記憶から取り出せない。

それは、怖くて、不安で、狂いそう、それに近い。

そして今日、幼少のころを思い出した。

母は、私の気持ちに無関心で、自分の感情のまま家族を誘導していた。時折、理不尽な言葉を私に投げつけた。それは、母の優しさに触れた後にも油断したら浴びせられる。
父は、私を押入れに閉じ込めたり、私を布団で巻いた。母の言いなり?彼らは、意識が遠ざかる私を放置した。
私の心と身体は痛めつけられ、そこから逃れるために感情を押し殺し、現実と夢の世界を右往左往していた。

幼少期、どれが現実で、何が夢なのかわからない生き方をしてきた。
鏡を見て自分のこめかみをつまむとキリリが現れる。その時だけキリリと名乗る女の子と会話ができる。
夢の中でキリリがしたことは、無情なことばかりだった。
夢だと思っていたキリリの悪戯が、現実に次々と現れる。
私は知らない!と、訴えても信じてもらえなかった。

母は、私を“嘘をつく子”と思い込んでいた。
思春期、キリリはもう現れなかった。ただ、弟を溺愛する母の姿を見たり、意識が飛んで真っ白になるたびに不安や悲しみが怒りに変わった。他者とも関わろうとせず、ニコニコ笑うことに徹して、感情や体調、そして他者とのバランスを保つのがやっとだった。
今、ようやく その当時の言葉にならない苦痛と両親に求める激しい感情を 書くことができた。

と、書くと「嘘を並び立てて薄情な娘だ」とか「人は見掛けによらないね、狂気的な親だ」と言われそうだ。まだ隠しておくべきだったか。
傍目にも自信満々に生きている母親の姿を見るのが、私も嬉しくて、暴露することができなかった。

母から生まれ今の私があり、心から感謝しているので、いえ、それより自分の汚点のような気がして、長い期間Blogをしていても 今まで書けなかった。
いわゆる私のミエ・マネジメントだ。

父と母は、彼らなりに一生懸命生きてきた。私は、両親を憎んではいない。
私は両親との間に距離を置いてきたが、怖い記憶を頭から取り出して、新しく色々と見えてくるようになったのは、二十歳を過ぎてからだった。
“それでも母を求めている…。血縁がなければどんなに楽だろう。”と苦しんでいる私に、その頃出逢った呉服屋の店主が言っていた。
「許す日?許される日?まるちゃん、和解をしようと思っているの? 親子の関係は、和解じゃないんだよ。ただただ感謝しかないんだよ。」

子育て期は、いつ来るともしれない母の優しさを求めた。あらゆる角度からその心を捉えるようになり 幸せは自分次第だと気付かせてもらった。
愛されたい激しい感情を隠し、自分の記憶を封印し、幸せの感度を高めることに邁進してきた。幸せの心持ちを...保つために、長~い.長い月日、父と母に距離を置いてきた。
ところが、10年前の事、その思いが自然に溶けていくのを感じた日があった。
右のお話しを読んでみてくださいな♬ ⇒ 願うものにあらず

更に、心の底から感謝できるようになったのは、ごく最近になってからだった。
両親の愛に気付くまで、随分 遠回りをしてきた。
私は、今では満たされている。と、思っていた。

しかし、父は、自縛から溶けていなかったのか?苦痛だったのか…。
私を見ておびえることは無いんだよ。
もうしばらく距離を置こう。

😔

嬉しいこと 伝えたいのに・・・